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<ブログ記事>

更新の頻度は特に決まっておりません。
小説やイラストが好きですが、こちらでは聖書について書かせていただきます。
おもに聖書から素敵な言葉をピックアップして、短いコメントを載せていきたいと思います。

・最終更新日2017年8月17日


普津沢(聖書:初心者で1年目です)のコメント    白河(聖書:初心者で教会にいっています)のコメント




2017年8月9日
ルカによる福音書・6章の27節より

『人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい』

(当たり前のことなのかもしれませんが、はっとさせられてしまいました。とても素敵な言葉だと思います)





2017年8月10日
マルコによる福音書・7章の34節より

『そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。』

(イエスが耳が聞こえず舌の回らない人を癒す場面です。自分の指を両耳に入れてはずし、唾をつけて聞こえない人の舌に触れて呪文のように言うあたりがまるで神様のようでとても印象深い場面でした)





2017年8月10日
ルカによる福音書・6章の41節より

『あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか』

(まったくそのとおりだと思います。日々自分をかえりみながら気をつけていきたいですね)





2017年8月12日
マタイによる福音書・6章の1節より

『見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる』

(良いことをするときには人目のあるなしは関係がないということでしょうか。日々澄んだ心でいたいものですね)





2017年8月13日
コリントの信徒への手紙(一)・12章の25節〜27節より

『体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です』

(今日の礼拝の説教で聞いた言葉です。教会の中で信者たちが言い争いをしている場面です。信者たちはキリストの体となってそれぞれに役割があり、どれも無くてはならないんですね)





2017年8月13日
コリントの信徒への手紙(一)・1章の10節より

『皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい』

(どんなことでも集団にいる限り、心を一つにして取り組まないと何もなりません。お互いの意見を尊重して一致団結して取り組むことが大切だと実感しました)





2017年8月13日
マタイによる福音書・7章の23節より

『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、わたしから離れ去れ』

(自分に都合がよいときにだけ、神さまを頼るようなやり方では聞き入れてもらえないということでしょうか。日頃からのおこないが大切なのでしょうね)





2017年8月13日
マタイによる福音書・22章の39節より

『隣人を自分のように愛しなさい』

(これは私でも聞いたことのある言葉ですね。まったくそのとおりだと思います)





2017年8月15日
創世記・1章の1節より

『初めに、神は天地を創造された』

(聖書を開いたときに一番最初に目にとびこんでくる文章です。力を感じさせる言葉だと思います)





2017年8月15日
マタイによる福音書・6章の24節より

『あなたがたは、神と富とに仕えることはできない』

(ここでいう富とはそのままお金のことと考えればよいのでしょうか。日々心を清くしていたいものですね)





2017年8月16日
ルカによる福音書・1章の30節より

『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもっている男の子を産むが、 その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人となり、いと高き方の子と言われる。』

(神から遣われマリアのもとにやってきた天使のガブリエルがイエスを産むという予告をする場面です。ヨセフの許嫁だったマリアですが、まだ少女でヨセフの顔すらも見たことがありません。初々しくて戸惑うマリアが印象にのこりました)





2017年8月16日
ルカによる福音書・15章の31節より

『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか』

(この章のタイトルは「放蕩息子のたとえ」です。イエスが放蕩息子の話しを信者にした場面です。兄と弟の話ですが、弟は勝手に家を出て父親の半分の遺産を全部遊びにつかってしまったのです。その間、兄は父親のために孝行をして一生懸命働くのです。 それなのに、突然ふらっと現れた弟に父親は涙を流して抱きしめて祝福をするのです。私はこの話を何回読んでも理解ができません。 女遊びや贅沢な暮らしをし尽くして家族を捨てた弟なんか許せませんが、この物語を読んで、親はどんなことがあっても家を出て行ってもずっと子は子なんだと思いました。 親と子供目線はまったく違いますね。)





2017年8月17日
コリントの信徒への手紙・1章の19節より

『わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする』

(もしいつか審判されるときがくるとするならば、もの知りであったり仕事ができたりすることよりも尊われるべきことがあるということでしょうか。それは聖書でいうところの十字架の言葉だったり、隣人を愛することだったり、そういうことなのかもしれませんね)





2017年8月17日
ヨハネの黙示録・12章の9節より

『この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた』

(聖書を読んでいてとてもおどろいたのですが、聖書では比喩としてではなく実在するものとして、悪魔の存在をはっきりと認めているようです。このことに関しては、もう少ししっかりと聖書を読んで考察を深めていきたいと思います)





<ブログ記事ここまで>

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