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   『絵画の君〜マーメイドの涙〜』

         投稿者 : ペガサス


 窓を開け放つと広葉樹の木々の立ち並ぶはるか先に海が一望できる。ここは別荘。
 丘の上にはこの一棟があるだけで、あとは翠の風が駆け抜ける。室内には私が先日誘拐してきたミラーがいた。誘拐、というのはちょっとした言い過ぎではあるのだけれど、ワインバーでこの半年、顔を見合わせるようになった彼女を気に入って酔った寝込みを連れてきた。
 ミラーはさっと開け放たれたカーテンと窓から差し込む陽気に、その白い瞼をゆがめると一度唸り声を上げた。きっとぶどう酒が私の味方をして彼女を弱らせたとともに、翌日の頭痛までも引き下げてバッカスも今は朝日に乗って悪戯に去って行ったのだろう。ミラーは哀れなほどうずくまって頭を抱えている。
 その長い金髪から覗く白い腕も、顎のラインも美しい子。
「ここはどこ……サラ」
「バーからはそうね、だいたいセスナなら一時間というところかしら」
「どういうこと……」
 ようやく顔を上げたと思ったら藤色のシーツを引き上げて上目で私を見てきた。あまりにも妖精のようにかわいらしくて、どうしても頭を撫でまわしたくなる。水色の瞳はいつでも私を虜にするのだから。
「ほら。立ち上がって。ベランダに出ると少しは気分もよくなるわよ」
「動きたくないわ」
「そう?」
 私だけが歩いていき緩い潮風を受ける。
「ねえ……」
「ん?」
 柵に腕をかけて遠くの青い海を眩しく見つめていた私はミラーを振り返った。
「サラって、変わってるわよね」
 ゆっくりとミラーが歩いてきて、私の陰とミラーが重なって、私はそれに自然と視線を落としていた。私の陰はミラーの白い脚に絡まって、そして顔を上げた私の横まで彼女の水色の瞳がやってきた。
「夢かな。わからないけれど、サラと優しいキスをしたような気がしたから。でも、それがまったく変じゃないの。不思議と、それが当たり前でとても美しいことのように思えて。変なのに、変じゃないの」
 私は太陽に光るミラーの瞳と、潮風にゆられる金髪が私の腕に触れるたびに心が彼女に引き寄せられて仕方がなくなる。
「夢……なのではないかしら。ミラーの夢」
 かんじんな時に怖気づいて、私は彼女の瞳から逃れられなくなる。海よりも淡くて、穏やかな朝と同じ空色の瞳。夜にだけ見てきたミラーとはまた違う雰囲気は、光りをまとった私だけの女神に思える。
 ワインバーでいつでも彼女は、だんだんと増していく私の恋心もじらすほどのあまりにも素敵な笑顔を向けてきた。秋口に出会った彼女は冷たくなってきた夜気をいつでもふくんでバーにやってきて、マスターと話をしながら談笑しはじめて、私に気づくといつものように『ウォーターハウスのマーメイド』、と言ってきた。よほど似て見えるのだろう、私も芸術が好きだから、二人でその関係の話をよくしていた。そしてふと私の目を見つめて、素敵に微笑むミラー。そんなとき、ミラーがいつも何を考えて私を見つめてきていたのかいつでも気になった。
「夢なのよね。きっとそう。だって、闇の色の海にあのまま泳いで行っていたら、夢と気づかずに目覚めなかったかもしれない」
 そんなの嫌よ。現で彼女といたい。彼女の一抹の不安を腕を撫でてあげることで和らげた。ミラーもはにかむ。
「私はそんなに似ているのね。あの絵画に」
 私が視線を向けた先をミラーも見た。丸い壁鏡のサイドに飾られたJ・W・ウォーターハウスの絵。マーメイド。海辺の岩場に腰を下ろして、黒く長い髪を櫛ですいて海水を落としている人魚。私も好きな絵。ミラーのために、実家の居間からこの別荘のこの寝室に運んだ。この日のために。
「私と……彼女はどちらが綺麗?」
 しばらくミラーは引き寄せられて歩いて行った先の絵画に見とれていて、私がすぐそばにいることに気付かなかったみたい。肩越しに私を見て、振り向いた。
「ふ、まるで白雪姫の女王のようなことを訊くのね」
 口元だけは笑って、澄んだ水色の瞳は笑ってはいなかった。
「mirror mirror, wall the mirror……」
 英語でミラーが言って、ごまかそうとする。私は聞き入れずに彼女を見つめた。
「ミラー。あなたは泉の精霊オンディーヌのようだわ。私にも恋に必死になって命をも投げ出して、そして私の胸だけで泣けばいいのに、ミラー。私ならあなたを捨てない」
「サラ」
「私が今までされてきた仕打ちのようには」
 サラの瞳が変わらないから、それどころか憐れんだ瞳で潤んだから、彼女から私は離れていってソファに腰を下ろしてうなだれた。
「そんな弱みを見せないで。サラ」
 ミラーを見上げる。マーメイドの絵画の横にいる彼女。まるで困惑の色を見せるオンディーヌと同じ顔をしている。
「お友達で、いさせて?」
 私の情けないほどに弱弱しい声が、まるで人魚ののろいかのように思わせる。このまま恋に破れて声を失って消えていくかのように、泡沫になるかのように。
 過去の悲しみがいくつもよみがえる。私は耐え切れずに顔を覆って部屋を飛び出した。
 あんなにもう恋愛を諦めていたのに、なんどだって私は誰かに恋をしてしまうのだわ。歯止めを効かせたって無理。穏やかでは済まされない情念が波となって私に押し寄せて恋に狂わせる。そしてミラーをさらってきてしまった。なんという浅はかさ!
「ああ!」
 恋に狂うとは、なんと幸せにして苦しく、涙の止まらない罪なのだろう。
 庭に広がる木々の木洩れ日は出会った当初のあの寒さは忘れたように優しげに揺れている。また凍てつく寒さが巡るときは、ミラーとともにいられたらって思ったのに。
 そっと、私の影にミラーの影が重なった。
「サラ。驚いたけれど、私、あなたとの夢が素敵に思えたの。確かに恋愛なんて大して積んでいないしわからないわ。でも、あなたを泣かせるのは嫌なの。ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスが引き合わせたのかもしれないわ。海を制する美しさのあなたと、泉に住まう私を」
 いつもの声。私を癒してくれる声と、それと微笑み。陽に照らされるそれが、こんなにも綺麗な子。疲れた心をいつも知らず内に包み込んでくれた。
「いいの?」
 ああ、私がぶどう酒の魔力にやられていたのね。そのままミラーの優しさに浸っていたくて。いつでも私をそっと受け止めてくれた彼女に酔いしれるために。
「今度見る夢は、一緒がいいわ」
「じゃあ、暗い海じゃなく爽やかな青い海で癒されに行きましょう」
 私たちは手を取り合って、丘と林の先の海へと出かける。風に乗って恋心は歌になる。
 もう涙はいらない。それでも、これからも流すのでしょう。歓びの涙だって、悲しみの涙だって流すのだわ。けれど、一歩一歩、その悲しみは乗り越えて行ける。一人の時よりもたくさん。それは繰り返して引き寄せる波のように、私たちの足元をさらっては海の碧さに打ちとけていく。
 まどろみのままに浜辺に腰をおろす二人の影。ずっと、夕暮れが訪れてもともにいよう。けれど、夜になる前には戻ろう。彼女が見たマーメイドの夢を私が塗り替えられるように。
 地中海の優しい夕暮れ色に染まりながら、帰途につくのだわ。


<作品のテーマ>

以前こちらで投稿させていただいていたペガサスです。お久しぶりです。
こちらは先ほど「即興小説トレーニング」というサイトで投稿したものです。
「制限;一時間、お題;緩やかな同性愛」のもと製作した作品の誤字脱字や不足部分などを手直ししました。
最近は忙しさで創作から離れていたので、頭の体操にと始めた制限投稿ですが、評価をいただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
   投稿者  : ひつじ使い
読ませていただきました。
少し気になりましたのは、小説の世界で生きているはずの主人公が、現実のこちら側にいる読者に向かって、たとえば「ここは別荘」などとあからさまに説明をしてきているところです。こういう小説に必要な情報は、こう書いてしまうぐらいなら、「別荘の窓を開け放つと」というようにさらりと書いたほうが、まだ自然なように思います(あくまで一例ですが)。
よく一人称の悪い見本としての例文で、「僕は山田太郎。十六歳で高校一年生だ」といったものが挙げられていますが、これと似たような印象を受けてしまいました。

それとこれもよく言われていることですが、登場人物の外見をいくら書いても、読者が興味を持ってくれることはほとんどありません。それでキャラを立てて書いていることにはならないということです。小説における人物造形は、セリフや仕草やリアクションといったもので構成されるものです。この小説ではここら辺のバランスが少し悪いようにも思いました。
あまり参考にならないようでしたら申し訳ありません。
これからも頑張ってください。
   投稿日 : 2017/01/03 12:49
   投稿者  : きらら
穏やかな同性愛というテーマを綺麗にうまくまとまって書かれていると思いました。
ペガサスさまの小説は今までに何度か読ませていただいたことがありますが
おとぎ話のような「マリーのリンゴの木」という小説もですが
まるで洋画を見ているみたいでとても美しい表現だと思っておりました。
1時間でここまでかけるなんてすごいです!これからもがんばってください><
今年もよろしくおねがいします^○^
   投稿日 : 2017/01/03 16:42
   投稿者  : 弥生 灯火
穏やかな同性愛という難しいテーマを即興で書くなんてチャレンジャーですね(笑)
きららさんの感想と被りますが、一時間でよくここまで書けるなあと驚きです。

書き方によっては生々しい同性愛なのに、世界観が日本ではないせいもあってか、美しさが強く反映されていたように感じました。
ミラーのセリフが綺麗すぎるので、現実感が薄く感じられたせいもあるかもしれません。

それと、ひつじ使いさんと同様に、私も語り口の方向が少し気になりました。
サラの語りの先が、地の文や会話文に限らず全て読者に向かっている、向かい過ぎてるかなあと。
ミラーのセリフが徹頭徹尾サラに向かっているのに対して、サラのミラーに向けているはずのセリフまで読者に向かっていて温度差?があるような。

ある程度は読者に向けてになるのは仕方のないことなんですけど、今作の場合は登場人物が二人で、しかもその二人の恋愛。
単純に言えば、現実から目を背けた二人だけの世界のお話だと思うんですけど、それを懸命にサラが説明しているような・・・
いっそのこと一人称ではなく、三人称にして書いた方がよかったかもしれませんね。

ではでは、これからも執筆頑張って下さい。
拙い感想、失礼しました。
   投稿日 : 2017/01/08 12:59
   投稿者  : ペガサス
ひつじ使いさま

新年明けましておめでとうございます。
拙作に感想をくださってどうもありがとうございます。

地の文が説明めいているということで、確かに読んでみると一人称でこれはいろいろと書きすぎているきらいがあるな、と実感しました。
これは一時間の制限などはきっと関係なしに、わたしの癖でもあるのかもしれないので改めて自分で注意しながら細やかな表現を自然に取り入れられる、
とともに表現のマイナスをすることで人物行動の本質を究めることを探っていけたらと思います。
自分では気づかなかった指摘をいただけてありがたいです。
とはいえ、やはり一時間のうちに、これも入れて、あれも入れたい、という願望が裏目に出て情報量が多くなってしまったのかもしれないです。その点は反省しております。

また作品の質の向上を目指して頑張らせていただきます。
最後までお読みいただいて感謝いたします。
   投稿日 : 2017/01/09 21:15
   投稿者  : ペガサス
きらら様

新年明けましておめでとうございます。
拙作をお読みいただき、感想をいただきましてどうもありがとうございます。

「マリーの林檎の木」実は私も拙作なのに恥ずかしながら好きな童話でして、それを今も覚えてくださっていることがとってもうれしいです。
自身の脳裏に映像化されたものをどう文章にしていくかを考えながらいつも執筆をしているのですが、絵画的とおっしゃっていただけたのが光栄です。
もしかして今回は読みづらさはなかったでしょうか? まだ自分でも精進の日々なので文の巧みさをどう向上すべきかわからない段階ですので、
もっときらら様にも皆様にも素敵な文を届けられるように修行させていただきたく思います。
素敵なお褒めの言葉をいただきましてどうもありがとうございました。
   投稿日 : 2017/01/09 21:20
   投稿者  : ペガサス
弥生 灯火様

新年明けましておめでとうございます。
拙作をお読みいただいた上に感想をいただきましてありがとうございます。

一時間で穏やかな同性愛、という即興テーマはやはり扱いづらい印象を持ちました。なので、やはり荒波が押し寄せる感じにはなったものの、最後には穏やかに持っていこう、
と思いこのような仕上がりにさせていただきました。
一応は自分の書きたい方向にコントロールできたですが、いかんせん急ぎの文で、いろいろ零れ落ちていないか、つめすぎたかな、と冷や汗ものです。
西洋を舞台にしたのはやはり日本では出せない雰囲気を追ってのことでしたが、現実味はたしかに薄いですね。できるだけサラの言葉は普通の女性のようにしたつもりでしたが、
童話や絵画の情報を入れたことで通常の人から少し離してしまったのかもしれません。

三人称だといろいろと自然になるかもしれませんね。なぜ一人称になったのか、というのはそのときの衝動情念の恐ろしさでもあって、覚えていません。涙。
語り口調も三人称にすることで文の格調を少しはあげられるのかもしれません。文というものは難しい点が多いですよね。ともあれ、今は格調うんぬんの前に文の基礎をもっと磨きます。

ただ、ミラーはサラだけを見て、サラはどこかよそを見た口調、というのはまったく予想打にしなかったご指摘をいただけて寝耳に水でした。
本当ですね。一人称なのでサラがいろいろな方向に視点を向けているから、読者様からみた二人の位置関係が本人たちの恋愛とは真逆を描いている。
これは恥ずかしながら気づきませんでした。ちょっと頭をリフレッシュして一人ひとりの表現というものをもっと繊細にしていけたらと思います。

最後まで拙作をお読みいただいてどうもありがとうございました。
これからも奮励努力させていただきます。
   投稿日 : 2017/01/09 21:39
   投稿者  : てこてこ
はじめまして、読ませて頂きました。
難しいお題なのにここまで雰囲気を醸し出せるのが凄いですね。洋画のワンシーンの様な妖艶さと静けさを感じました。
他の方が仰る通り、少し説明が多い部分が気になったので、そこを簡潔にまとめるともっと良くなると思います。例えば、ミラーの瞳の色の描写も、初めは使わずに、後程の「彼女の瞳から逃れられなくなる〜」の部分で初めて使う方が、前述の海との相乗効果もあって、印象的に見えると思います。

個人的な意見なので、参考になれば幸いです。
長々と失礼しました。
   投稿日 : 2017/03/14 21:29
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