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   『手』

         投稿者 : 春風


 私は祖母の手がいつも好きだった。幼い私に優しく触れる、温かくて私のすべてを知っている手が。長い年月を、苦労を重ねながらも幸せに生きてきたその手が大好きだった。時にはオレンジの実を摘み、時には土に触れ、時には包丁で食材を刻み……。数々のことを成し遂げたその手は、私にとって計り知れないほど大きなものに感じられた。
そして私が気付いたことは、人の手はみな素晴らしいものだということ。世界に1つだけのものを自分で作り上げる職人の手、何も知らない白くて純粋な手、生き方に迷って戸惑い何もできないでいる手。どれもみな、美しいのだ。私は思った、その手をたくさんの人に知ってもらいたいと。



 鉛筆が紙の上を滑る音だけが、店の中に響く。窓ガラスには真っ赤な夕暮れの空が映っていた。私は前髪をかき上げて空を見上げた。
「綺麗ですね」
 と言うと、向かいに座った男性は頷く。
「はい、本当に……」
 そしてまた、鉛筆が紙の上を滑る音。
 男性の手に、赤い光が反射していた。私はいつものように微笑む。
 「はい、出来ました。お待たせして申し訳ありません」
 私がそう言うと男性は椅子から立ち上がった。私はエプロンの紐を解く。
「後日、完成し次第連絡いたしますので、もしご都合が合えば見にいらして下さいね」
「はい、きっと来ます。ありがとうございました」
 男性はそう言って店を後にした。
 空の赤い光も消えようとしていた。私はそろそろ店を閉めようかと思い片付けに取りかかろうとした。そこへ、店の前を通りかかった年老いた女性が足を止め、外から店を眺めているのが見えた。女性は店へ入ってくる。
 「いらっしゃいませ」
 女性は店に飾られた絵を、何も言わずしばらく見つめてからぽつりと、
「綺麗ね……」
 と言った。そして私の方を振り向いて尋ねる。
「これは、誰の手を描いた絵なの?」
「いろいろな人です。私のような職人の手もあれば、小さな子供の手も牧師の方の手も、農家の方の手もありますよ」
「そう……。本当に綺麗。この絵を頂けるかしら?」
 女性は、手の線が緑と青で描かれてい、まわりに黄色が滲んでいる絵を指差した。
「それは、11歳の女の子の手です」
「若々しくて素敵ね」
 女性は青く澄んだ目を輝かせた。
 私が絵を包んでいる間も、女性は他の絵を眺めていた。この女性は絵がとても好きなのだろう、私はなんとなくそんな気がした。
 「また、来るわね。ありがとう」
 私が絵を渡すと、女性はそういって私に握手を求めた。私は女性の手を握る。握った瞬間、何か温かいものが胸の中に沁み込んだ。この手は……。
 祖母の手にそっくりだ。
 「あら、どうしたの?」
 私はいつの間にか涙を流していたようだ。女性は優しげに笑う。
「何をそんなに感動しているの?」
「あっ、いえ……。申し訳ありません」
「ふふ。若いっていいわねえ」
 女性は店を出ていこうとする。その背中を、思わず呼び止めていた。その手を、描きたい。
「あの、あなたの手を、描かせてはもらえないでしょうか?」
 女性は振り向く。少し驚いたようだ。しかしすぐに笑みを浮かべ、
「私の手は、あなたに描いてもらえるほど綺麗ではないわ」
と言って出て行った。私は女性のいたところをぼうっと見ていた。



 数日後。
 「いらっしゃいませ」
 男性が店を訪れた。
 「あなたの手は、あの手前の絵ですよ」
 男性はほうっとため息をついた。
「僕の手でも、こんなに美しく描けてしまうんですね」
「何をおっしゃるのですか。あなたの手は絵で描かなくても美しいのですよ」
 男性は照れくさそうに笑う。
「僕、自分の手が綺麗だなんて言われたのは初めてですよ。あなたの手の方が綺麗です」
「あら、私もそんなこと言われたのは初めてです」
 私と男性は、今度は顔を見合わせて笑った。男性の笑顔もとても綺麗だと、私は思った。
 少しの間その絵と他の絵を眺めていて、男性はある絵が目に留まったようだ。
「この手は、誰のものですか?」
 男性が指したのは、しわが多く、しかし光り輝いている手だった。
「その手は、あなたが前回帰られたすぐ後にいらしたお客様の手です」
 そう。この手はあの年老いた女性のもの。
 女性はあれから、2日後に来店した。
 「なんだか、あなたに呼ばれた気がしたのよ。どうしてもその手を描きたいんです、いらしてくださいって」
 女性はそう言ったのだ。私は喜びが溢れそうだった。私の気持ちが女性に通じた。私はすぐに絵の支度にかかった。支度をしている私に、女性は尋ねる。
「あなた、どうしてそんなに私の手を描きたいの?」
 私は顔を上げた。決まっている。あなたの手が、
「綺麗だからですよ」
 そして、いつものように微笑んだ。

 「あなたは、自分の手を描いたことがありますか?」
 私の話を聞き終えた男性は私に尋ねた。私は首を横に振る。すると男性はこう言った。
「描いてください。僕、いろんな人の手をこんなにも綺麗に描けるあなたの手を、あなたの絵で見てみたいのです」
 また涙が出そうになった。慌てて後ろを向く。
「どうしたのです?」
 男性は心配そうに聞いてくる。私は振り返り満面の笑みを男性に向けた。
「いいえ、なんでもありません。私……」
 また空が赤い。
 「あなたの手を描けて、良かったです」
 

 
 


<作品のテーマ>

人の手の暖かさと美しさ。
私自身、人の手はいつもきらきらしているようで好きなんです。
祖母の存在をもう少し詳しく描きたかったのですがどこをどうすればいいか分からず…。
   投稿者  : ペガサス
拝読させていただきました。

素敵な作品でした。
優しさに包まれているというのはこのような作品をいうのですね。
手というものは確かに生きるうえでも目に付くし、生きてきた姿が見えるものだし、人となり、ときに性格さえも分かるものですから、それを物語で表現の一つとして取り入れると、ぐっと引き立つものですが、作者様のように「手を手として大きなスポットを当てる」ということに上手に取り組めている作品は初めてで、読んでいて「なるほど」と思いました。
パリかどこかのスケッチアトリエが舞台となって繰り広げられる夕暮れの一コマが、多くの優しく美しい「手」に包まれていて、これこそが彼女自身がもとめていた「美しい祖母の手」に通じる「頑張って活きている・生きている人たちの手」に見守られて生きる場所なのですね。
祖母の存在、もしもしっかりと書きたい場合は、前半と後半に祖母との思い出の一コマを台詞もともに添えるというのはいかがでしょうか。
アトリエに来た老婆との会話でも充分に素敵だと思うし、全てを語らない穏やかな主人公の人となりから見て、今の作品のままでもいいのかもしれませんが。
ともに、あまり深くまで語らないという部分が、もう少しエッセンスがあってもよかったのかなと思う部分でもありました。
そのエッセンスが祖母との思い出話になっていたら、また綺麗な風情が加わると思います。
応援しています。心温まる作品をありがとうございます。
   投稿日 : 2017/01/16 00:58
   投稿者  : 春風
ペガサスさん、感想ありがとうございます。
素敵な作品と言って頂けてとても嬉しい気持ちです。私の作品で読者様たちの心が温まるのならこの上ない幸せです。
また素敵なアドバイスも下さりありがとうございます。ぜひ次の創作時の参考にさせていただきます。
私は小学生の時イタリアのフィレンツェに2か月ほど滞在していたので、職人を取り入れた作品を書くときはどうしてもそのようなイメージになるようです。
それが伝わっていたようで良かったです。
作品の内容をもっと良いものに出来るような感想をありがとうございました。良さを生かしつつアドバイスの内容も取り入れ高みを目指していこうと思います。
   投稿日 : 2017/01/16 17:33
   投稿者  : 涼格朱銀
 いちおう、この作品はこのままでもいいんじゃないかな、とは思います。大きな問題は無いですし、これはこれで味のある作品にはなっていると思います。
 ただ、せっかく手に注目している作品で、主人公は手を描く職人でもあるのに、手に関する表現がほとんど「綺麗」という一言で済まされてしまっているのは残念ですし、手に注目する主人公だからこそ見えてくる世界というのを、もっと表現した方がいいんじゃないかな、とも思います。
 たとえば、登場人物の顔の表情に関する表現はいくらか書かれていますけど、手の表情に関することは、実は全然描かれていませんよね。この主人公なら、人の手の仕草に注目しないことはないと思います。むしろ顔以上に、手の仕草から相手の感情を読み取っていてもいいはず。そういうところに気を遣って書くと、よりテーマに則した作品になるのではないかと思います。

 また、祖母に関してもっとどうにかしたい、ということであれば、それがどういう手だったのか、ということをもっと詳しく書いていけばいいんじゃないでしょうか。
 ひとつ考えられる展開の方法としては、主人公にとって祖母の手は理想なわけですけど、それがなぜ理想なのか、ということは、最初は主人公自身も理解していない、ということにするのです。 で、祖母の手は具体的にどういうものだったのかを詳しく思い出そうとし、あるいはそれを絵として描いてみる。できあがった絵は、確かに思い出にある祖母の手とそっくりなのだけど、何か違う、と。
 そんな時に年寄りの女性がやってきて、絵を買っていくわけですけど、その手は、外見上は祖母の手とは全然別物だったのですけど、握手した瞬間に「祖母の手だ」と気付く、というような感じにすれば、今よりも祖母の存在を作品の中心に持って来られるのではないかと思います。
   投稿日 : 2017/01/16 22:00
   投稿者  : 春風
涼格朱銀さん、感想ありがとうございます。
なるほどと思わせられるようなアドバイスばかりでした。
手について書かれている話なのだから、もっと手のことを詳しく書いた方が良かったですね。大切なことを忘れていました。どこか盛り上がりがないなと思っていたのですが、そのせいだったのかもしれません。
また祖母の存在をもっと取り入れたいということについても詳しく書いてくださり参考になりました。
今後ともよろしくお願いします。
   投稿日 : 2017/01/17 18:34
   投稿者  : ひつじ使い
読ませていただきました。
少し気になりましたのは、男性が何者なのかがよくわからないこと(主人公に手を描かせてあげたモデルのような役割なのでしょうか。はじめのうちはお金を払って手を描いてもらっているお客だと思いました)、それとこの小説の登場人物は外国人なのでしょうか。もしそうなら「女性は青く澄んだ目を輝かせた」という文章の前にもっとそれらしい感じに書いた方が良いように思いました。
お話そのものは真心を感じることができ良かったです。
これからも頑張ってください。
   投稿日 : 2017/01/21 15:31
   投稿者  : 春風
ひつじ使いさん、感想ありがとうございます。
男性は、主人公が手を描いていた人物です。
話の雰囲気のため、舞台の国についても今回はあまり詳しく書かずに話を進めることにしたのですが、男性についてはもう少し分かりやすく書くことが必要だったかもしれません。
国と人については、最初の「時にはオレンジの実を摘み」というところと主人公が職人ということ、女性の「青い目」というところで外国だということを示したかったのですが、足りなかったようです。
さらりとさせたいがために省きすぎてしまいましたね。
でも、アドバイスとともに褒め言葉も頂けると救われるというか、嬉しいというか、良い気持ちになります。良かったと言ってくださりありがとうございました。
   投稿日 : 2017/01/21 15:49
   投稿者  : basi
何とも言えないあたたかい気持ちになりました。とても素敵な作品です。
僕は、絵を描く様になってから、人の美しさは、年齢を重ねる事じゃないだろうか。と思うようになりました。
最近よく、若さ=美しい、しわの無い肌、とかCMを目にしますが、やっぱり「しわ」には、その方の過してきた証みたいなものがあって、
それが、人の魅力=美しさ、になるのでは。と思います。
順番が、逆になってしまいましたが、武士の物語と言い魅力的な物語です。
新作を楽しみにしております。
   投稿日 : 2017/02/15 20:27
   投稿者  : 春風
dasiさん、先日に続き感想ありがとうございます。
私も、その人の苦労や人生の証のようなものにこそ美しさがあると思い、この作品を書きました。あえてお年寄りの方の手をメインにしたのもそのためです。
しかし、若くても未熟でも、人にはどこか美しさがあるということも表したく若い男性を取り入れました。文中には「若い」という言葉が入っていませんでしたね。ミスです…。
手は、その人の美しさをうまく表現できるものだと思います。ですが、手という表現のカギを使ったのはいいものの、使う理由となる「美しさ」を表す文章が足りなかったと反省しています。
魅力的な物語と言ってくださりありがとうございます。もっと魅力的な作品を書くことが出来るような工夫をしていこうと思います。     
   投稿日 : 2017/02/18 16:51
   投稿者  : こたつのペンギン
作品、拝読しました。
手のもつ魅力を絵で表す女性のお話、ですね。
どんなお店なのかな、というのが一番気になりました。
どういう場所に、どのくらいの大きさで建っていて、
お客さんはどういう経緯でお店の扉を開くのか。
作品のテーマがしっかりと表れている分、もっとリアルに想像したくなります。
本当にあるような、夢ではないような、確かさをまわりの小道具で演出してほしい、と。
ちょっと欲張りでしょうかね。
   投稿日 : 2017/03/13 21:34
   投稿者  : てこてこ
とても温かい話ですね。独特の柔らかい雰囲気が素敵でした。
個人的には、女性や男性が他の人の手の絵を気にしている描写があるのですから、そこから人の輪が広がる様な展開があれば良いなと思いました。主人公が女性の手に祖母の面影を見る様に、他の人も同じ様に「手の絵」から誰かの面影を感じ取ったんだと思うので、そこからその人たちのエピソードへと繋いでいけるんじゃないかな、と思いました。そうすれば、その流れで祖母の存在ももっと出していけると思います。
参考になれば幸いです。長々と失礼しました。
   投稿日 : 2017/03/14 21:33
   投稿者  : 春風
こたつのペンギンさん、感想ありがとうございます。
私はいつも、細かく書きすぎると雰囲気を壊すと思い書かないようにするのですが、省きすぎて逆効果になってしまうことが多いようです…。どの程度詳しく書けばいいのかということをもっと考えるべきですね。ご指摘ありがとうございます。
でもテーマがしっかり表れていると言って頂けて良かったです。良い部分を損なわないようにしながら欠点を改善していこうと思います。    
   投稿日 : 2017/03/15 17:12
   投稿者  : 春風
てこてこさん、感想ありがとうございます。
アドバイスをありがとうございます。色々な方からそれぞれの意見を頂けて勉強になっています。
私は長い物語を書くのが苦手なのですが、それはてこてこさんからアドバイスを頂いたような様々な想像力に頭を働かせることが出来ないせいかもしれません。もっとたくさんのことを想像できる努力をしたいと思います。
確かにアドバイス頂いたような内容にしていけば、温かさも内容自体ももっと濃いものになるかもしれません。参考にさせていただきます。  
   投稿日 : 2017/03/15 17:21
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