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   『傍観』

         投稿者 : 十


棺の中で目を閉じた彼を直視できなかった。後ろで花を持ったクラスメイト達が小声で騒いでいる。女子の好奇心に満ち溢れた声が耳に障った。怖いだなんて慄いて、自分を可憐に見せたいのだろうか。みんな、彼の死を軽んじていないか?振り返って注意しようとして、どうしようもない現実が僕を抑えた。誰より彼を軽んじていたのは僕じゃないか。
 震える手で彼の隣に花を置いた。真っ白な菊が彼の一部を覆う。見えなくなる。白に埋め尽くされていく。自分が花を置いた後も、その場から動けなかった。彼が消えていくのを歯を鳴らしながら見詰めていた。閉じられた瞼の向こうから彼が見ているのを感じた。間違いない。彼は僕を見ている。あのがらんどうな瞳で、まだ、僕を見ているのだ。
 他人から見て放心したように映ったのだろう、担任が僕の肩を抱いて動かした。転ばないように足だけがついていく。視線を逸らせない。直視できないのに、彼から目を背けることは許されなかった。辛いだろうがしっかりしろと担任がささやく。力を失った手のひらに、彼にささげるための言葉を握らされた。嘘だらけの美辞麗句を書き散らした薄っぺらい紙。今すぐくしゃくしゃに丸めてごみ箱に捨てたい。彼が死んで悲しい人間なんてこのクラスにはいない。彼を人間だと思ってた生き物なんてこの中にはいない。彼の死を自分たちの過ちのせいだと深く反省する者なんて誰ひとりとしていない。

「運が悪かったよね」

 用意されたマイクの前に立った時、誰かが言ったのが聞こえた。携帯電話のカメラで式場を撮影する音が聞こえる。心霊写真が撮れたらいいのにと、馬鹿にもほどがある。委員長頑張れと要らない声援が届いた。先程担任に握らされた紙を開いて、言葉を吐き出そうと息を吸う。声に出来ないまま、僕はそこで静止した。

 彼と僕は親友だった。小学校に入って間もないころに知り合って、それから一昨日、彼が亡くなってしまうまで僕たちは唯一無二の存在だった。多分、その筈だ。僕が弱くなければ、僕がここまで利己的な人間でなければ、彼は今も生きていたかもしれない。彼を、このクラスという魔物から救い出せたのかもしれない。担任からもクラスメイトからも信頼され、空気の読める人畜無害な学級委員長という有りもしない架空の肩書が、本来の僕を殺し、彼の命も奪った。
 空気の読める人、というのは多数決に流される人と言い換えても良い。信念も自分の考えも無く、その時その時で自分に非難が来ない流れを選ぶ。自らの保身が最も大事な人種。それが空気の読める人、すなわち僕だ。委員長としてクラスの意見をまとめる役を仰せ司った僕は、あふれ出るクラスメイトの不満を自分ではないどこかに受け流す作業に徹した。四方八方に飛ぶ思春期の棘を、教師陣に言われるまま取りまとめて行った。僕に被害が及ばないように上手に流す。棘を突き刺す針山の役を担ったのは彼だった。

「大丈夫」

 クラスメイトに好き勝手殴られた後、彼は決まってこの台詞で笑った。自分に言い聞かせるためでは無くて、僕を安心させるために言っているように聞こえた。まだ僕を憎んでいないと、言ってくれているような気がした。僕は何も返さなかった。彼が傷だらけになっていくのを見るのは辛かったけれど、かと言って彼と同じようにいたぶられるのは嫌だった。
 だから見ていない振りをした。
 いかに彼の人権が侵されようと、いかに彼の人間性が否定されようと、僕は素知らぬふりで委員長の務めを果たした。空気を読み続けた。大小様々な針を突き刺された彼に、謝罪や労りの言葉をかけることすら止めた。彼と関わりをもつのは罰ゲームになっていた。

「仕方ないよ、君のせいじゃない。みんな疲れてるんだ」

 遠くから彼が言う。僕は聞こえない振りを続けた。彼はいつだって僕を悪く言わなかった。いつだって僕に賛同した。何の労りもしない僕を親友だと信じ続けているようだった。僕はとっくに彼を見下した存在にしていたのに。
 思えば最初から彼は優しかった。それは僕に対してだけでなく、誰に対してもだ。お人よしという言葉は彼のためにあるのではないかと考えてしまうほど、様々な他人に都合よく使われてはそれを笑顔で許す。みんな疲れているから、なんて理由で自分に与えられる理不尽を許容出来て良いはずがないのに彼は容赦してしまう。誰の言葉も全て受け止めてしまう。僕の言葉に全て賛同の意を示す。
 きっと、僕はそれが嫌いだった。きっと、みんなもそれが嫌いだった。
 あまりに彼が僕に賛同するから、僕は彼を否定したくなったのだ。
 僕たちが親友であることを確認してくる縋るような彼に、冷えた瞳で言葉を濁すことを心掛けた。僕は君とは違うと言ってやりたかった。さあどうだったかなと僕が口にするたび、彼は一瞬顔を歪める。そしてその後すぐにいつも通りの笑顔でごめんねと謝った。僕は得も言われぬ優越感を覚えた。親友同士ではなく、主従関係に似た格差があるのだと、錯覚していた。
 クラスメイトの罵詈雑言を、窪んだ真っ黒な目で受け止める彼を見ても何とも思わなかった。自分に矛先が来なければ彼なんてどうなろうと知ったことでは無かった。後に彼によって巨大な矛を向けられるとは、この時、僕は知らないのだから。
 一昨日、授業が終わった放課後、彼は久しぶりに僕に声をかけてきた。何か月ぶりだったのだろう。その前に話したのは気が遠くなるほど昔な気がする。僕の平坦な日常の記憶の中を探っても答えは出ない。彼が一方的に話しかけて、僕が聞こえない振りをしていた時期でさえ今はもう思い出せない。全てのやり取りをくだらない記憶の砂場に埋もれさせてしまうほど、僕は彼を蔑にしていた。

「今までごめんね。もう大丈夫だから」

 何に対しての謝罪だったのか、何が大丈夫なのか、まったく解らない。その言葉を聞いた時も理解できなかったが、彼の遺体を目の前にした今でも解りようがない。

 「大丈夫なことなんて何もないじゃないか」君が死んで、僕はこんなに苦しい。強大でどす黒い罪悪感のような嫌悪感が僕を飲み込もうとしてるんだよ。もう死んでいる君に対して殺意さえ覚えている。本来であれば僕が謝らなければならないのに、本心では望んでいない。
 
 頭の中で本音が溢れだす。泥で作った堤防を汚い本音の濁流が押し壊して行く。自分の本音に気付いて、その救いようのない利己的価値観に寒気を感じる。僕はどこまで腐りきっているのか。たった一人の親友を殺した直後だというのに、まだ空気を読んで非難を浴びない方法だけを考えている。
 自分は悪くないんだという保身と、幼いころの彼との思い出が交互に頭をよぎる。彼は優しかった。僕は最低だった。彼は大丈夫と笑ったけど、僕は見えない振りと聞こえない振りをしていた。純粋な彼が死んで、汚い僕が生き残っている。
 
 彼は死んだ。自ら手首を切って死んだ。
 遺書には一言、ごめんね、と書いてあった。
 自殺ではない。
 彼を殺したのは、僕だ。

 縋る手を何度払いのけたのだろう。その度優越感に浸って快感を覚えた。そんな一時的な感情のために一人の命を奪った。間接的だとは思わない。間違いなく僕は、直接彼の死に関わっている。そしてそれを自覚しながら、彼を激しく憎んでいる。なんて性の悪い生き物なんだろう。奪った命の重さに慄きながらも、その命を蔑むことが出来るらしい。手に余り、抱えきれない後悔を噛み締めながら飲み込む気はない。
 握りしめた紙の上で文字が躍っている。こんな上っ面の言葉を声に出すには、僕は汚れすぎている。上っ面で生きて来たのだから僕にはこの程度の安い言葉の羅列がお似合いなのに、頑なに声にしようとしない。こんな言葉を並べ立てても、彼はきっと僕を許してくれないだろう。最後の言葉と遺書にあった「ごめんね」はその意思の表れ。彼は僕がこうして表面と裏面の自分に板挟みになってもがくこと見越していた。誰にも気付かれない、けれど誰よりも大きな矛を僕に向けた。彼だけが知っていた僕の矛盾を、上手に利用した。
 こんなに苦しいのならいっそのこと僕を殺してくれれば良かったのに。そうすれば僕は悪くなかった。君だけが悪い人になったのに、君は頭が良いからそんなことはしないんだよね。
 マイクの前で嗚咽をもらす。彼はまだ僕を見ている。僕と彼、いったいどちらが傍観者なのだろう。彼は優しくて残酷だから、見て見ぬ振りなどしてくれない。許すつもりは毛頭なさそうだ。


<作品のテーマ>

敬愛するバンドの曲から着想を得て書きました。
「僕」と「彼」のすれ違い、そして読んで下さる方が覚える違和感、で気分が悪くなって頂ければと思います。
   投稿者  : 古事記のリテナ
こんばんは。古事記のリテナと申します。<作品のテーマ>から、既にそれっぽかったので読ませて頂きました。 確かに、良くも悪くも違和感を覚えましたね。ざっと数えても、違和感その1〜その5までありそうな...、あやふやですけどそんな感覚でした。
男の子(「彼」のほうです。)の親族はどうした?とか、なんで主人公こんなに嫌そうに学級委員長やってるんだ?とか...。うーん、いろいろと考えさせられる作品でもありました。

全体的に良かったとは思いますが、強いていえばもう少し「僕」のその時々を感情的にしてみたり等、主人公自身の動きや心情にもう少しインパクトを足して欲しかったです。 ...これくらいですかね!

最後に。『大小様々な〜ことすら止めた。』の文章からは、利己的な「僕」の変化も「彼」という身代わり人形も「クラス」という魔の存在も、全てがまとめてシンプルな言葉で表れている、という風に思えました。個人的に、そこが一番良かったです。しっかりした違和感づくり、お疲れ様でした。そして、長文失礼しましたm(__)m
   投稿日 : 2017/04/13 20:04
   投稿者  : てこてこ
こんにちは、読ませて頂きました。
違和感と言いますか、結局「僕」は最後まで自己保身の為に行動したり言い訳をしているのが、凄く人間らしいなと思いました。
思春期独特の矛盾している思想や現実と理想のギャップがリアルで、弱い人間というのをしっかりと表現されてて凄いです。
色々考えさせられるお話でした。
   投稿日 : 2017/04/18 16:38
   投稿者  : 
古事記のリテナ様

お返事が遅くなってしまいましてまことに申し訳ございません
私の主観で書いていると気付かないようなご指摘をいただけてとても勉強になりました。
確かに「彼」の両親のことは一切頭にありませんでした・・・

主人公が淡々としすぎていたので、もう少し改良して、主人公の醜い感情をもっと露わにできるようにしたいと思います。

表現へのお褒めの言葉、大変うれしく思います。また作品ができあがりましたら掲載したいと思いますので、その際もぜひアドバイスをお願いいたします。
お読みくださり、本当にありがとうございました。
   投稿日 : 2017/05/25 17:01
   投稿者  : 
てこてこ 様

お返事が遅くなってしまいまして、まことに申し訳ございません。

「僕」の果てしない利己的感情でただただ言い訳をしている話ですが、そこから人間らしさを読み取っていただけると、書き手冥利に尽きます。
思春期という魔物に彼らは取り込まれてしまったのですが、きっとそれは弱いからなのでしょうね。
お褒めの言葉をいただいて恐縮でございます。
またアドバイス、ご感想をいただけるとうれしいです。

お読みくださり、本当にありがとうございました。
   投稿日 : 2017/05/25 17:04
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