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   『トワイライト』

         投稿者 : 弥生 灯火


 飲み会を終えた柊吾は、左右にうねりながら歩いていた。バスのロータリーを越えて駅に着くと、柊吾を待っていたのは閉じたシャッター。おぼつかない足取りでくるりと頭を翻してみれば、辺りは闇色の濃くなった景色だ。何分か前、いや何時間か前に終電は去ったのだろう。そんなことすら、もう脳が働いていない。幸い明日は休日で、実家に帰省してる妻の戻る日も明日だった。
 朝一番の電車で帰るのはどれぐらいぶりだろう。そんなことを思いながら駅の階段に腰を下ろした柊吾は、次第に船を漕ぎ始め、眠りの世界へと落ちていった。

 ふと目を覚ました柊吾は妙に酔いが醒めていて、何だか飲み足りない気分に陥った。時刻を確認すると、始発電車にはまだ早い。柊吾は寝静まった商店街の脇道へと出て、良さそうなお店を探すことにした。
 ほの暗い道だった。柊吾以外は誰一人として歩いていない。沈んだ赤提灯の影だけがかろうじて見て取れる。一つの靴音だけが響いていた。
 どこをどう歩いてきたのだろう。薄闇の中にぼんやりと浮かぶお店の明かり。普段は一人で飲み屋に入ることを躊躇いがちな柊吾だったが、何故だかすんなりとお店に入っていけた。

「いらっしゃいませ」
 黒ベストに蝶ネクタイと、個性の欠片もないマスターが声を掛けてきた。どうやらバーのようだ。グレーを基調としたカウンターテーブルやイスは、シックにまとめられ小洒落ている。柊吾以外の客は居なかった。路地裏にポツンとある小さなバーだ、理由は察することができる。
「ジントニック」
 柊吾はメニューも見ず注文した。見たところで、既知なのはジントニックとカシスオレンジぐらいなのだ。
 マスターがシャカシャカとリズミカルな音を立てて、カクテルをシェイクし始めた。その淀みない所作は通年を重ねたせいだろうか、それとも自分よりは幾分か若い年齢と思えるからだろうか。柊吾はぼんやりとマスターを見たあと、カウンターに置いた自らの手に視線を落とした。節くれだった指だ。甲には五十を越えた年輪が皺となり刻まれている。昔は滑らかで細い手指だと言われていた。そんなふうに評したのは誰だったか。修吾は一人の女性を脳内に呼び起こした。

 ――弥生。
 二十年ほど前に交際していた異性の名だ。柊吾の五十数年の人生で、最も愛した女性かもしれない。弥生に向けた愛情を、柊吾は未だに強く覚えていた。付き合っていた日々は誇らしく、輝きに満ち溢れていたからだ。しかし、そんな日々にも終わりは訪れる。別離を選択した後の数ヶ月間、苛む心で柊吾は傷ついた。それを癒したのは、妻との出会いだった。
「ジントニック、お待たせしました」
 透き通った液体の中に、無数の細かい泡が浮遊している。幾つもの思惑が浮かんでは消えていった。
 もし弥生と別れず結婚していたら、今頃どんな人生を歩んでいたのだろう。誰もが一度は考える別の人生、IFだ。
 妻は良くも悪くも平凡な女だった。不満があるわけではない。しかし、どうにも比べてしまう。才媛であった弥生と並べて、些細な欠点を見てとってしまう。弥生を知らずにいたら、少なくとも妻に対して、もっと素直に接することが出来たのではないか。ありきたりな日々にも、楽しさと喜びを覚えられたのではないか。最高の人生を歩んでいたのでは――
 ジントニックを一口飲んだ柊吾は、その薬臭いような匂いと、舌を避けさせる苦味で顔をしかめた。
「お口に合いませんでしたでしょうか、申し訳ございません」
 マスターは、すぐに柊吾の表情に気が付いた。もっとも客は一人しか居ない、それで気付けないようなら、とっくに店は潰れているだろう。
「代わりと言ってはなんですが、こちらのカクテルはいかがでしょうか?」
 あたかも用意されていたのかのように、マスターは別のカクテルを差し出した。淡い桜色のそれを見て、弥生の姿が重なった。
「トワイライトという、私が創作したカクテルです」
 フルーティーな香りが微かに鼻を突き、柊吾は芳醇な甘味を想像した。口直しには良いかもしれない。
「何を混ぜたカクテルなんですか?」
 ウォッカと何かの果実か、推測しながら聞いた。
「夢と現実を混ぜたカクテルです」
「…………」
 マスターの言葉に、粋や面白さを感じなかった柊吾は反応を示さなかった。むしろそんなことを言っているから、他に客が入らないのではないかと訝しむ。服装ではなく言葉で個性を演出するのは考えものだな、などと感じながらグラスを口にした。すっきりとしていて、口当たりが良く美味しい。思わず二口、三口とグラスを傾け、あっという間に空にしてしまった。すると柊吾はうとうとしてきて、カウンターテーブルに倒れ伏した。

「柊吾さん、ごめんなさい。もうあの人と会わないから」
 弥生は、遂に認めた。柊吾以外の男性と、肉体関係のあったことを。弥生は、美しかった。才知があり可愛げもあって、非の打ち所のない女性だった。他の男に体を許させてしまったと、柊吾は自身の不甲斐なさの方に打ち拉がれた。
 純粋で、桜の花びらのようで、柊吾は弥生を愛していた。信じていた。別れたのはたった一つの失点を許すことが出来なかった、己の器量の狭さだと思っている。と同時に無意識に比較していた妻を、汚したのではないかという怒りが同居してきた。
 柊吾は、弥生との経験から度量を広く持とうと意識した。妻の小さな失敗にも声を大にしたり、こちらの機微にうとい性格にも気持ちを荒らげることなどなかった。もちろん強く罵ったり暴力を振るったことは一度としてない。ただ、代わりに正面から相手にすることを避けてきた。日々に置いて積み重ねてきた素っ気ない扱いを、泰然自若などと、どうして嘯けよう。

『しばらく帰ってませんから、ちょっと様子を見てきます』
 妻が帰省する前に投げたこの言葉は、終局へと向かうサインではなかったか――

 ハッと夢から覚めた柊吾は、ひどく現実味を覚えて憔悴していた。そこには年齢も変わらない等身大の自分がいて、まるで夢と現実を入り混ぜたような時間だった。おかしな夢だったな、そう思った瞬間、柊吾は自分の居る場所がバーでないことに気が付いた。
 雑多な足音が体に響いてきている。朝になっていた。花灯りのもと動き出した社会の中で、まどろむ柊吾は一人、駅の階段で置き去りにされていた。
 不意に柊吾は強烈な吐き気に襲われた。こらえ切れず、その場で戻してしまう。にごった桜色の液体が地面に染みを作った。周りの人々の視線が突き刺さる。しかし感じたのは、口内に残った後味の悪さだった。

 ――心の中に居た弥生は、もういない。
 修吾は上着からスマートフォンを取り出し、妻にメールを送った。
「家に着くのは昼頃だったな。どこかに昼飯でも食べに行こう」
 ほどなく返信が来た。
「分かりました。昼前に着きます。なにか、いいことでもありました?」
 味気ない妻の文章に、普段の柊吾の言動と似た様子が垣間見れた。が、それでも最後の疑問文にまだ間に合うことを感じて、柊吾は微笑みを湛えながら、澄んだ空気の遠くに目を向けた。


<作品のテーマ>

テーマはトワイライト、まんまタイトルになります(何) 
日の出前や日没後の薄明かり、あるいは照明等の微光を指します。
また、人生におけるたそがれの意味もあります。全部込めてみました(欲張り)
アドバイス頂けたら嬉しいです。読んで下さった方、ありがとうございました。
   投稿者  : てこてこ
抜歯の痛みにうなされているせいか「左右にうねりながら〜」の文章でデューク○家的な歩き方を想像してしましました(阿呆)

それはさておきまして、欲張って全部込められたと仰っている通りの趣きのある内容で、設定過剰になる訳でもなく上手くまとめられているなぁと思いました。それだけでなく、テーマを踏まえてそこから新しい物語が始まるような終わり方で、とても良かったです。
柊吾、ファイト!(*‘ω‘ *)←

少しだけ引っ掛かったのが、柊吾がカクテルを飲んで倒れ伏すシーンですが、一気に飲んだとはいえ倒れるのが唐突過ぎると言いますか、若干「盛られたのか?(笑)」と思ってしまう印象を受けてしましました。もう少しゆっくり意識がまどろむ様な表現の方が合っている気がします。
後は目覚めた時の柊吾が、階段で立っている状態なのか座っている状態なのかですね。どちらでも良いと言えば良いのですが、それによって周りの人の視線も変わってくるので、ちょっとだけ気になりました。
あ、凡ミスですが柊吾が「修吾」になっている場所がありました(笑)

そんな訳で変な感想になりましたが(コラ)次回も楽しみにしています^^
   投稿日 : 2017/05/20 13:51
   投稿者  : 弥生 灯火
てこてこさんへ
デューク○家、久しぶりに聞きました(笑)

この手のおっさんものは久しぶりです。大体はコメディにしてしまうんですけど、
前投稿作があれなので、今作は真面目路線にしました。とても良かったと言われて嬉しいです。

>唐突過ぎる
盛られたようなものです(笑)
ゆっくりまどろむ様子なのは最初の駅の階段で表してしまいました。
なので二度目となると、くどく感じないですかね? バランスが難しいところです。

>立っているor座ってる
伝えきれず申し訳ありません。
序盤の最初の眠り(階段で座ってる時)から起きた状態、なので座っています。
雑多な足音が体に響いて〜の文章で、座ったままなことをイメージさせたつもりになってました。
ほら、直に座ってないと地面から伝わる足音が体に響いてきたりしないので。精進したいと思います。

>修吾
まだ残ってかー!(キー) 結構、校正を重ねたのに(泣) 気をつけます。

ではでは、感想並びに指摘、感謝です。ありがとうございました。
   投稿日 : 2017/05/20 16:24
   投稿者  : 涼格朱銀
 私は作品の内容そのものよりも、作者のペンネームを作品に織り込んでいることが気になりました。特に意味は無いのかもしれませんけど、普通、ペンネームに関係する字句を作品に入れるのは特別な意味があると思うのですよね。直接作品に関係することじゃないですけど。

 作品については、なかなか難しいバランスで仕上がっていると思います。気になる点はいくつかあるんですけど、そこを修正しようとすると大幅に書き直すことになりそうなんですよね。だったらそのまま放っておいた方がいいかとも思うのですけど、それはそれでもったいない気もする。

 とりあえず気になる点を挙げると、まず、この短い作品で、寝て起きて寝て起きてという似たようなシーン展開が二回もあるのはくどい、ということ。駅の階段で起きたところから始めて、バーで寝るシーンは「眠りに落ちた」などと書かないで、いつの間にか隣に弥生が座っているとか、そういう形にして、弥生を追いかけてバーを出たところで駅の階段で寝ている現実に戻るなどすれば、シーン展開の回数を削ることができ、字数の節約にもなるので、その分他の部分に字数を回せるんじゃないかと思います。半分くらい書き直しになりますけど。

 次に、弥生の説明が入り、カクテルを見て弥生を思い出した直後、夢で弥生と再会するという展開は野暮ったく感じる、ということ。「帽子から鳩が出ますよ」と言われてからその通りの手品を見せられている感じがして、その説明いらないよ、とどうしても思えるんですよね。できれば夢で弥生に出会うまで、弥生への言及はしない方がいいです。
 ただ、今の作品のバランスだと、夢のシーンの前に弥生の回想をすることには構造的に意味がありますから、書かないようにするにはプロットから再考する必要があるはずです。

 最後に、マスターの扱いが宙ぶらりんになっていること。まずいジントニックを出したり、変なカクテルを勧めてわけのわからない説明をするなど、マスターは外見こそ「個性の欠片もない」ものの、実際にはかなり特徴付けがされているのですけど、これだけ作中で大きく扱われているなら、マスターとの関係にもそれなりの決着が欲しいんですよね。それが書かれていないのがアンバランスに見えるのです。
 これに関しては、「トワイライト」という言葉が医学用語で「朦朧状態」を表すことを利用して、作品自体を「夢と現実」のカクテル仕立てにすることで解決できると思います。つまり、弥生を回想するという現在のストーリーラインはそのままに、「マスターにむちゃくちゃアルコール度数の高いカクテルを飲まされてトワイライトに陥る」という、現実的かつ味気ないストーリーラインの二重構造になるように作品を仕立てるわけです。
 これは一応、最小限の書き換えでも実現できて、吐いている時に「『夢と現実』なんてわかりにくい言い方をしないで、はっきり度数が高いって言えよ、下手したら死ぬだろ」とか「あのマスター、ウォッカの分量間違えただろ。いくらなんでも強すぎだろ」などと毒づくようにするだけでも可能です。
 ウォッカと何かのカクテルということは作中でも推測されているので、度数が高いことは想定しているでしょうけど、そのことを作品構造に使うところまではしていないですよね。それを「マスターとの関わり」というサブストーリーに対するオチとして使えばいい、ということですね。マスターについてはやりすぎてギャグになることを警戒して抑えた結果なのかな? とも読んでいて思いましたけど。

 あと、これは読んでいる分には気にならないことですけど、読んでいると主人公が五十代のように感じられないんですよね。もっと若いような印象がある。年齢のこととか手のしわのこととかは書かれているんですけど、言動そのものには五十代らしさを感じられる要素が少ないんですよね。それで、読んでいると若そうな印象になる。
 たとえば、飲み会で揚げ物がキツく感じられるようになったとか、最近は一人で静かに飲みたい気分が大きくなってきたとか、だから一人で飲み直したい気分になって酒場を探そうと思うとか、細部にじじくさい雑感を織り交ぜて、それが言動に関係するようにするなどすればいいんじゃないかと思います。
   投稿日 : 2017/05/21 07:46
   投稿者  : 弥生 灯火
涼格朱銀さんへ
>ペンネを織り込んでいることについて
深い意味はないですね。よく使用している名前なんです。以前に感想を頂いた「シュタインヘーガー」でも、ヒロイン役につけてました。
特別な意味を込めて使用した場合もあります。「三月十日」という作品がそうでした。でも、これは例外ですね。

>寝て起きて寝て起きて
そうなんですよ。くどいというのは分かります。なんとか小手先で表現を変えて緩和させてみましたけど、本質的にパターンを繰り返していることは弱み。
バーで眠らずに、気がついたら弥生が隣に座っていた、という案はいいですね。バーでの一幕は、そのものが全て夢か幻といったものですから、実際に弥生を登場させても問題なく、何より面白いです。寝て起きるも繰り返さなくてよいですし。

>マスターの問題
推測通り、意図的に抑えました。でも抑えきれてなかった感があるかもしれません。ほんの添え物、モブの扱いなはずが(汗)
トワイライト、医学用語で朦朧としていることを指すんですか。存じませんでした。勉強になります。
創作カクテルはあくまで小道具としての扱いで終えてます。主人公がたそがれるための手段の一つとして用いているだけでした。
使い方が勿体ないということですかね。実在しないものなので、どこまで創作してよいか、扱いが難しいところです。

>五十代?
年齢を感じさせるエピソードをもう少し用意しておけばよかったんですね。
主人公に喋らせたのは、「ジントニック」と注文したのと、「何を混ぜたカクテルなんですか?」の二回のみなので、
あまり若者感を出してるつもりがありませんでした。
たそがれる(人生を振り返る)だけで、おじさんっぽいと思ってしまったのは早計だったかなあ。参考にさせて貰います。


修正すべき点が多く見つかりました。大感謝です。
でも、言われる通り今作はプロットから書き直した方がいいかもしれない。うう、気が向いたらにします(逃)
ではでは、多くの指摘、助言、参考になる案、ありがとうございました。
   投稿日 : 2017/05/21 18:23
   投稿者  : ひつじ使い
読ませていただきました。
センス良く書けているように思いましたよ。
五十代の男性の心理も、この小説を通して味わうことができました。
これからも頑張ってください。
   投稿日 : 2017/05/26 22:34
   投稿者  : 弥生 灯火
ひつじ使いさんへ
あまり書いたことのない年代なので挑戦してみました。
若年ではハマりにくい渋みが少しでも出せていたなら嬉しいんですけどね。
感想ありがとうございました。
   投稿日 : 2017/05/27 20:52
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